お気に入りのアプリを開いてください。そして、もうひとつ別のアプリを開いてください。おそらく、どちらも不気味なほど似ていることに気づくはずです。
いまの人気アプリをスクロールしていると、だんだん区別がつかなくなってきます。Instagram、Threads、TikTok、YouTube Shorts、LinkedIn。
角丸のカード、ボトムナビゲーションバー、ニュートラルなパステルカラー、または滑らかなグラデーション。Inter や Roboto のような「無難な」サンセリフ体フォント。しばらく見続けていると「もしかして、全部同じチームがデザインしたのでは?」と錯覚してしまうほどです。
では、オンラインを離れてみましょう。ノートパソコン、スマートフォン、スマートウォッチ、ワイヤレスイヤホン。一目で違いを言い当てられるでしょうか?多くは、角の丸い長方形。アルミやガラスの質感。かつて強い個性を持っていた自動車でさえ、いまでは空気抵抗効率を優先した「似たような塊」に収束しつつあります。
これは気のせいではありません。Webサイトからアプリ、さらには物理的な製品に至るまで、あらゆるものが「グローバルなデザインテンプレート」へと収束しています。クリーンで機能的で予測可能。──そして正直に言えば、退屈です。
私たちはいま、イノベーションが「革新」ではなく「反復」に感じられる時代に生きています。独創性は、スケーラビリティ、安全性、親しみやすさという名のもとに削り取られています。
かつて、実験やルール破りの遊び場だったデザインは、なぜテンプレート集のようになってしまったのでしょうか?そして、もっと重要なのは、私たちはそこから抜け出すことができるのか?という問いです。
What:何が起きたのか
デザインは、最初から単調だったわけではありません。2000年代初頭のWebでは、すべてのサイトが違う見た目をしていました。雑然としていて、混沌としていて、でも確かに「個性」がありました。初期のスマートフォンも同様です。BlackBerry の小さな物理キーボード。Nokia の遊び心あるフォルム。Apple のミニマルな金属デザイン。
これは主観的な印象ではありません。2020年、Nieman Lab の調査は「オンラインニュースサイトのレイアウトは、ほぼ見分けがつかなくなった」と指摘しました。UX Collective の分析でも、主要アプリの大半が、同じ視覚的ヒエラルキーと操作フローを再利用していることが示されています。
いまや「同質化」がデフォルトなのです。
Google のマテリアルデザイン、Apple の Human Interface Guidelines。これらは、明確さと一貫性をもたらすために生まれました。そして──あまりにも成功しすぎました。デザイナーは構造だけでなく、創造的判断そのものをガイドラインに委ねるようになったのです。
結果どうなったか。「使いやすい」ものは増えました。しかし「唯一無二」のものは、ほとんど残らなくなりました。
マテリアルデザインは、世界で最も使われているアプリの70%以上に影響を与えています。
デザイナーはユーザビリティのヒューリスティックス、マテリアルデザイン、AppleのHIGが大好きです。しかしガイドラインに固執すればするほど、すべてが予測可能になってしまいます。
Figma のコミュニティファイルは確かに素晴らしい。ダッシュボードもオンボーディングフローも、数分で手に入ります。
Figma、Webflow、Canva、Squarespace。これらのツールは、デザインを民主化しました。それ自体は大きな勝利です。しかし同時に、多くのデザインが同じ「出発点」から始まるようになりました。スピードが独創性を上回るとき、結果として生まれるのは「量産された既視感」です。
問題は、こうした「近道」が野火のように広がることです。近道のはずだったものが、そのまま「完成形」になってしまう。
A/Bテストは「安全」を報酬として与えます。奇抜な案が勝つことは、ほとんどありません。角丸ボタンのほうが成果が出る。青いリンクのほうがクリックされる。
こうしてデザインは、想像力よりも最適化の営みへと変わっていきます。創造性は、コンバージョン率の前にひざまずきます。
SNS、Dribbble、Behance。世界中のデザイナーが、同じトレンドにさらされています。サンパウロでも、ベルリンでも、バンガロールでも、デザイナーは同じ「今っぽい表現」を追いかける。
その結果、ニューモフィズム、グラスモーフィズム、そしてベントグリッド。世界規模のエコーチェンバーが生まれました。
かつて革命的だったミニマリズムは、今やデフォルトとなりました。疑似写実主義はフラットデザインに取って代わられました。フラットは「ニューモフィズム」へ。そして再び「フラットだがカラフル」へと回帰しました。
ミニマリズムが売れるのは「高級感」と「時代を超えた普遍性」を感じさせるからです。しかし使いすぎたことで、「美的なベージュ」になってしまったのです。
Airbnb、Uber、Spotify、Google、Pinterest。かつて個性的だったロゴは、いまやフラットなサンセリフのワードマークに収束しています。
会議室で「なぜ他と違うことをしたのかと説明する」のは、誰だって避けたい。安全なデザイン=リスクが少ない。多くの企業環境では、独創性よりもリスク回避が優先されます。
Instagram は以前うまくいったコンテンツを押し出します。TikTok は成功したフォーマットを無限に複製します。Medium の記事でさえ、構造(ヘッディング、箇条書き、「ストーリー+洞察」構造)が似通っています。
プラットフォームが同調を報酬にするなら、クリエイターも同調します。
Photo by Tadeusz Zachwieja on Unsplash
デザインは装飾ではありません。問題解決でありコミュニケーションであり、文化表現です。
これはブランドを表しているか?ユーザーや文脈を映しているか?それとも、単なるトレンドのなぞり書きか?を問いましょう。
Dribbble を眺める代わりに、こんなものを見てみてください。
デザインシステムは平均的ユーザーのためにあります。イノベーションは、例外から生まれます。アクセシビリティ、ローカル言語、低帯域環境。制約は、新しい表現を生みます。
銀行アプリのホーム画面を壊す必要はありません。でも、オンボーディングでは遊べないでしょうか?マイクロコピーは?イラストは?小さなリスクがやがて大きな個性になります。
「◯◯社っぽくしてください」というクライアントがいるように、同質化はデザイナーだけの問題ではありません。差別化の価値を伝えることも、仕事の一部です。
すべてのアプリが Instagram である必要はありません。すべてのロゴが Helvetica 風である必要もありません。ローカル性、人間味、具体性を取り戻しましょう。
例:Duolingoの遊び心あふれるフクロウのマスコットは、単なるフラットなミニマリズムではなく楽しさを前面に出すことで型破りな存在となっている
万人受けするデザインは、記憶に残りません。大胆で意見のあるデザインは、際立ちます。ブロックベースの編集は直感的ではありませんでしたが、Notion はカルト的な人気を博しました。
人は「癖」に惹かれます。非対称、手書き、ブルータリズム。完璧でないからこそ、人間的なのです。
例:Craigslist は醜いかもしれません。でも、誰も見間違えません。
グローバルが収束するほど、ローカルな表現には価値が生まれます。Devanagari文字にインスパイアされたタイポグラフィ、アフリカの幾何学模様、あるいは日本のミニマリズム——これらすべてが現代デザインにおいて居場所を持ちます。
これらは単なる製品ではく、意思表明(ステートメント)です。
アクセシビリティ、ユーザビリティ、インクルーシビティを推進する動きは、どれも称賛されるべき目標です。しかし皮肉なことに、それらは無意識のうちにデザインの個性を平坦化してきました。すべての人にとって使いやすくしようとするあまり、誰の記憶にも残らないものになってしまうリスクがあるのです。
MidJourney、Uizard、Galileo AI のようなAI駆動のデザインツールは、創造のプロセスを劇的に変えつつあります。しかし、制御されなければ、それらは「いまのトレンド」を学習し、それを無限に再生産する危険性も孕んでいます。その結果生まれるのは、均質で、予測可能なアウトプットの波です。
それでも、私たちには選択肢があります。
デザインの未来は、これらのツールを単なる便利な近道として使うのか、イノベーションへの踏み台として使うのかにかかっています。私たちは、新しさと使いやすさの両立を目指すのか、それとも美的判断を自動化に委ねてしまうのか。
本質的に、デザインとは「同じであること」ではありません。意味をつくる行為です。
現在のAIツールは均一な結果を生みがちですが、同時に、超パーソナライズされた体験を生み出す可能性も秘めています。機能だけでなく、その人のアイデンティティに合わせてスタイルが変わるUIを想像してみてください。
同質化の問題が、一夜にして消えることはありません。しかし、気づくことが最初の一歩です。既定路線に疑問を投げかけ、実験を恐れないデザイナーこそが、次の波をつくっていきます。
過去を複製するためではなく、未来を再想像するためにAIを使いましょう。
次に Figma のキットをコピーしたくなったとき、こう自問してみてください。「ここに、自分たちの指紋はあるか?」
同じであることは、安全です。
違うことは、危険です。
しかし、デザインとは驚きや喜び、表現のためのものでもあります。すべてが同じなら、
私たちはインタラクションの楽しさを失ってしまう。
今日のデザイナーに求められているのは、機能するプロダクトを作ることだけではありません。多様性、癖、個性を取り戻し、削られたエッジを、もう一度取り戻すことです。
なぜなら、違いこそが記憶に残り、記憶に残るものが、長く生き残るからです。
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