ほぐれるCX
CXにまつわる様々なテーマをほぐしながら、実践につながる考察をお届けします。
【第2回】四つの世界が語るCX:時を超えて編まれる究極の顧客体験
Written by Hideaki Shirane

第一の世界:帝国ホテルの一夜(1961年、東京)
秋雨の夜、ロサンゼルスでの商談から帰国したばかりの実業家・田中が帝国ホテルのロビーに足を踏み入れる。一週間に及ぶ激しい交渉を終え、肩は重く、足取りも重い。長時間のフライトと時差ぼけで顔は疲労の色を濃く宿し、革靴は空港の雨で泥に汚れている。
フロントの支配人・山田は、田中の姿を一瞥しただけで瞬時に状況を読み取った。疲労の色、汚れた靴。そして、彼が三週間前に宿泊した際の細かな好み。山田の頭の中では、既に完璧なおもてなしのシナリオが動き始めていた。
「田中様、お疲れさまでございます」
田中は驚く。名前を告げていないのに。だが山田は続ける。
「本日も最上階の角部屋をご用意いたしました。夜景がお好みでいらしたかと」
エレベーターの中で、山田は静かに語りかける。
「お食事は軽めに、九時頃にお部屋へお持ちいたします。今夜の献立は、前回お気に召していただいた季節の魚料理を中心に。明朝は八時にお目覚めでしょうか?朝食の前に、シューシャインの予約を入れておきます」
田中が部屋に入ると、驚きが顔に浮かんだ。家具の配置、灰皿の位置、新聞の置き方—すべてが三週間前に自分が並び替えた状態で部屋がセットされている。クローゼットには、ランドリーから戻ってきたプレスの効いたスーツが新品のように吊るされていた。
ベッドに横たわると、彼の身体が自然と沈み込む。自分が求めていたシーツの張り具合、枕の高さ、すべてが完璧だった。窓からは東京の夜景が一望でき、雨音さえも心地よいBGMのようだった。
九時きっかりに届いた食事は、彼が疲れているときに本当に欲しかった味—優しく、滋養があり、胃に負担をかけない。アメリカでの濃厚な食事に疲れた胃には、この繊細な日本の味が沁み入った。
元気を取り戻した田中はメインバーに向かった。山田はその可能性があることを既にバーテンダーに伝えている。バーは静寂に包まれ、他の客との適度な距離が保たれている。
バーテンダーは無言で彼を迎え、グラスを田中の好みの位置に置いた。いつものウイスキー、いつもの氷の量、いつもの静寂。二杯目を頼もうとした時、田中がまだ口を開く前に、バーテンダーは視線を合わせた。
「まるで背中に目があるようだね。私の心が読まれているようだ」と田中。
バーテンダーは静かに微笑んで答えた。
「いえ、私どもはただ、田中様がここで心地よい時間を過ごされることを願っているだけです。それが私どもの職人としての誇りでございます」
その夜、田中は深い眠りについた。翌朝の東京は、昨夜の雨が嘘のように晴れ渡っていた。田中は清々しい気持ちでホテルを後にした。彼が得たのは単なる「最高のサービス」への満足だけではなかった。磨き上げられた靴は、自分をリスペクトすることの大切さを田中に語りかけていた。
第一象限の本質:「気遣いの芸術」
・顧客の言葉にならないニーズを察知する感度
・過去の行動を活用した個別最適化
・ジャーニー全体を通じた一貫したサービス哲学
・職人的専門性の享受を通した自己肯定感の獲得
第二の世界:千利休の茶室(1582年、京都 秋の夕暮れ)
「今日という日は、二度と来ない」
千利休はそう呟きながら、茶室「待庵」の準備を進めていた。今日の客は豊臣秀吉。天下統一を目前に控えた権力者だが、この四畳半では一人の求道者として迎えなければならない。利休の準備は細部に及んだ。庭の飛び石の上の落ち葉—あえて数枚を残し、季節の移ろいを演出する。茶花は一輪の山茶花、蕾がほころび始めた絶妙なタイミングのものを選んだ。茶碗は、秀吉の心境を映すであろう侘びた井戸茶碗。すべてが今日この時のためだけの設え。
「利休殿、参らせていただいた」秀吉の声が聞こえる。
だが彼も、この茶室の前では刀を脇に置き、にじり口から身を低くして入らねばならない。権力も地位も、この入り口で脱ぎ捨てるのが茶の湯の作法だった。それでも秀吉の背筋には緊張が走る。戦場では無敵の自分が、ここでは試されているのだ。
「殿下、ようこそ。今日は良き日でございます」秀吉が席に着くと、利休は静かに炭を継ぐ。その完璧な所作を見つめながら、秀吉は内心で身構える。政治でも戦でも負けたことのない自分が、この侘びた空間では素人同然。利休の一挙一動に、何か深い意味があるのではないか。見落としがあってはならない。
「この茶碗、面白い景色でございますな」
秀吉が茶碗を手に取る。光の加減で、釉薬の流れが刻々と表情を変える。だが、これは美への讃辞か、それとも何かの試練か。
「殿下の眼には、どのように映りまするか」
利休の問いかけに、秀吉の心に警戒心が芽生える。正解があるのか。間違えれば、茶人としての器を疑われるのか。
「さて...まるで山河を見下ろしているようでもあり、静寂な池の底を覗いているようでもある」
利休は微笑む。その微笑みに、秀吉は安堵と同時に新たな緊張を感じる。この茶人に、美の本質において負けるわけにはいかない。
「では、殿下にも一服点てていただけますでしょうか」
茶筅を手渡される瞬間、秀吉の手は微かに震えた。戦場では決して震えぬ手が。最初はぎこちなかった動きも、利休の静かな指導で次第に滑らかになる。秀吉は感じていた—自分は今、利休という茶の道の頂点に立つ男と闘っているのだと。茶が泡立つ音、湯の温度、茶筅の角度—すべてが対話となっていく。
「利休殿、茶とは何でございますか」
秀吉の問いには、探求心と同時に闘いの意味が込められていた。
「さあ、それは殿下ご自身の中にある答えを、共に探すことかもしれませぬ」
利休の答えは巧妙だった。教える立場を取らず、探求者同士として並び立つ。秀吉は次第に理解し始めた—この男は共に美の本質を追い求める同志なのだと。二人の時間が流れる中で、教える者と学ぶ者、主人と客という境界が溶けていく。最初の緊張感も次第に和らぎ、互いの感性を認め合う穏やかな探求の時間となった。利休もまた、秀吉の直感的な美への反応から多くを学んでいた。権力者の心の奥に潜む純粋さ、美への渇望。日が傾き、茶室に夕日が差し込む。
「今日という日は...」「二度と来ませぬ」
利休が秀吉の言葉を継ぐ。一期一会の心が通じ合った瞬間だった。
第二象限の本質:「共通テーマの相互探求」
・一期一会。唯一無二の時間への集中
・卓越化・自己超越への欲求
・闘いを通じて極めようとする探求
・緊張から相互承認へと昇華される過程
第三の世界:コスプレコミュニティ(2020年、SNS・イベント会場)
社会人二年目の麻衣にとって、すべては一枚のSNS投稿から始まった。会社帰りにスマホを見ていた時、タイムラインに流れてきた春野サクラのコスプレ写真。完璧なウィッグスタイル、細部まで再現された衣装、そして何より—その人の「サクラへの愛」が伝わってくる表情に心を奪われた。
「私も、サクラになりたい」
裁縫は家庭科の授業以来だった麻衣だが、翌日には100円ショップでピンクの布を買っていた。YouTubeでコスプレ初心者向けの動画を見ながら、見よう見まねでチャイナドレス風の上着を作り始める。出来た衣装は、袖の長さが左右で違うし、襟ぐりは歪んでいる。でも麻衣は気にしなかった。「とりあえず今日着られればいい」。そんな気持ちで、東京ファッションタウンビルで開催されるコスプレイベントに参加した。
会場で出会ったのは、同じNARUTO好きの人たち。経験豊富なコスプレイヤーの美月さんは、麻衣の手作り感満載の衣装を見て言った。
「サクラへの愛がすごく伝わってくる!私も初回はミシンが壊れて全部手縫いだったよ」
美月さんはその場でウィッグのセット方法を教えてくれた。
「今日のサクラのこの髪型なら、この辺りをこうして...」
帰宅後、麻衣は #NARUTO_コスプレ のハッシュタグで今日の体験をポストした。するとコメントがたくさん届く。
「お疲れさま!サクラちゃん可愛かった!」 「ウィッグ、私はいつもこの動画参考にしてるよ~」 「今度一緒に撮影しませんか?」
見知らぬ人たちが親身になって情報をくれる。麻衣は夜遅くまでコメントに返信し、共有された動画を見て、次のイベントへの想像を膨らませた。次のイベントでは、ヒナタのコスプレにはじめて挑戦した大学生・ゆりかと出会った。
「すみません、袖が破けちゃって...」 麻衣は持参していた安全ピンとマスキングテープで応急処置を施す。
「これで大丈夫!この角度で撮影すれば隠れるし」
それは麻衣自身の「弥縫」だった。SNSでも麻衣の投稿は変化していた。失敗談、応急処置法、100円ショップの便利アイテム。彼女の等身大の体験談は多くの共感を集め、コメント欄では「今度困ったらお互い様で」という空気が自然に生まれていた。
あるイベントで、麻衣は驚きの光景を目にした。自分が以前投稿した「マスキングテープ応急処置法」を実践している人、自分が紹介した100円ショップアイテムで衣装を作っている人。自分の「なんとかする方法」が、誰かのNARUTOを支えている。 社会人三年目になった麻衣は、今では多くの人に知られるコスプレイヤーの一人。でも彼女の姿勢は変わらない。新しいキャラクターに挑戦するときは、また「初心者」に戻る。SNSで質問し、イベントで教わり、その場でなんとかしながら、その日のコスプレを楽しむ。
「今度のイベント、誰のコスプレにする?」
仲間たちとの相談も、毎回が新しい冒険の始まり。技術の伝授ではなく、愉しみの共有が自然に循環する。
第三象限の本質:「共愉による循環エコシステム」
・創造性の原動力となる対象への愛情
・「愉しみの方法」の民主化と相互支援
・模倣から始まり解釈を加えた表現への自然な発展
・教える者と学ぶ者の境界の溶解と水平な学び
第四の世界:選ばない暮らし(2032年、千葉の里山)
吉田の畑に朝露が光っている。
彼がナスの苗に水をやっている間、AIエージェント「KAZE」は静かに彼の生活を最適化し続けている。保険の更新期限が近づいていることを検知したKAZEは、吉田の健康データ、ライフスタイル、財務状況を分析し、27社の保険会社のAIエージェントと自動交渉を開始した。吉田は知らない。彼の関心は、今朝のピーマンの成長具合と、午後に予定している近所の人たちとの野菜交換にあるからだ。
「今年は雨が多いな」
彼がそう呟いている間に、KAZEは既に最適な保険プランを選定し、契約を完了させている。年間保険料は従来より18%削減され、補償内容はより充実している。吉田のスマートフォンに「保険更新完了」の通知が届くが、彼は野菜の世話に夢中で気づかない。
昼食の時間、吉田は自分で育てたレタスと佐藤さんからもらった新鮮な卵でサンドイッチを作る。食材の産地を気にすることも、添加物を調べることもない。すべて自分の手で育て、信頼できる近所の人から分けてもらったものだからだ。
この間、KAZEは吉田の電力使用パターンを最適化し、太陽光発電の余剰電力を最高値で売却。さらに宅配便の配送時間を調整し、吉田が畑仕事を中断しなくて済むよう手配している。吉田は一切の選択をしていない。気づいてもいない。
午後、吉田は畝づくりに没頭する。土の匂い、鍬の重み、汗を流すことの心地よさ。これらは彼が手放したくないもの、意味を見出しているものだ。
「この大根の種、皆さんにも分けてあげよう」
作業の合間、隣の畑の佐藤さんが声をかけてきた。
「吉田さん、うちのトマトがよくできたから、お裾分けです」
「ありがとうございます。こちらもズッキーニが採れすぎて」そこへ森さんも合流する。
「森さんのキュウリ、とても甘くて美味しかったです」
「そう言ってもらえると嬉しいな。今度、種の取り方を教えますよ」
三人は野菜を交換し、栽培の知恵を分かち合う。この対面での交流、信頼に基づく分かち合いも、吉田が大切にしている時間だった。一方で、KAZEは彼の銀行取引を最適化し、資産運用のポートフォリオを調整し、来月の電気料金を最安プランに自動変更している。
夕方、吉田は収穫したばかりの野菜と佐藤さんからもらったトマト、森さんのキュウリで夕食を準備する。包丁を研ぎ、火加減を調整し、一品一品に心を込める。調理は彼が自分で行いたい作業の一つだった。
「今日も美味しくできた」
食事を楽しんでいる間、KAZEは吉田の健康データから明日の体調を予測し、最適な入浴時間と室温を設定している。また、地域の天気予報から農作業に最適な時間帯を算出し、静かにスケジュールを調整する。入浴後、吉田は野菜作りの本を読み、佐藤さんから教わった栽培技術、森さんのアドバイスをノートに書き留める。これも彼が時間をかけたい活動だ。知識を深め、来季の計画を立て、コミュニティとの絆を記録する。本のページをめくる音、ペンで文字を書く手の動き、人とのつながりを振り返る静寂な時間。
「明日は大根の間引きをしよう」
就寝前、吉田はそう決める。一日を通して、彼は保険のことも、電気料金のことも、資産のことも考えなかった。それらすべてはKAZEが最適化してくれている。彼が選んだのは、何に時間を使い、誰とその時間を共有するかということだけ。選ばない自由。そして、本当に大切なことに手間をかける自由。ゼロクリックで完結する無数のサービスが、彼の畑仕事と人とのつながりという「意味ある時間」を守り続けている。
第四象限の本質:「選ばない自由による意味の選択」
・人間が関与しない領域の戦略的選択
・体験しないことの実現
・意味のある活動への時間とエネルギーの集中
・信頼に基づくコミュニティとの深いつながり
四つの世界が語るCXの本質
この四つの物語は、人類がサービスやCXを通じて追求してきた異なる理想を表しています。同時に、これらは「提供者の関与の高低」と「顧客の関与の高低」という二つの軸で整理することができます。
第一の世界(帝国ホテル)は「最高のホスピタリティ」を提供しています。職人の感性が顧客の心を読み取り、言葉にならないニーズを完璧に満たすことが、顧客の自己肯定感の向上につながっています。ホテル・旅館、百貨店、美容院・エステサロンなどで実践されている象限です。
第二の世界(千利休)は「相互の高め合い」を追求しています。提供側と顧客という立場の違う関係の中で、出会い、闘い、交流し、共に成長していきます。高級レストランや老舗の料亭・寿司店、会員制クラブ・バー、テーラー、オーダーメイド家具職人などで実践されている象限です。
第三の世界(コスプレコミュニティ)は「共愉による循環エコシステム」を実現しています。対象への愛情が創造性を生む原動力となり、「愉しみの方法」の民主化を通じて、教える者と学ぶ者の境界が溶解した水平な学びが生まれています。提供者の関与を超えたところで顧客同士がつながるこの象限は、ファンコミュニティやオンラインゲーム、AirBnBなどのプラットフォームを通じて実践されています。
第四の世界(AIエージェント)は「体験しないこと」を達成しています。完璧な予測と先回りにより、人間が何も考えなくても最適な生活が自動的に実現され、顧客にとって意味があることに時間をかけられるようにしています。Amazon、保険サービス、ガス・水道などの公共インフラがこの象限に当てはまります。
提供者側の役割によって最適な象限は変わってきますが、どの象限も顧客の自己肯定感を高め、顧客が学習・成長することを支援しています。究極のCXは、これら四つの世界を見極めながら、顧客自身が自分を大切にすることに気づき、自律的に学び、成長することを支援することなのかもしれません。
Written by Hideaki Shirane
参考文献
岡部大介(2019)『ファンカルチャーのデザイン (越境する認知科学)』共立出版
川名幸夫(2006)『帝国ホテル伝統のおもてなし』日本経済新聞出版社
山内裕(2015)『「闘争」としてのサービス』中央経済社