ほぐれるCX
CXにまつわる様々なテーマをほぐしながら、実践につながる考察をお届けします。
はじめに
デザイナー、アーティスト、プロダクトマネージャー、コンテンツクリエイター。
創造を仕事にする人たちは、しばしばこんな根本的な疑問に直面します。
「AIで何でも作れてしまう時代に、クリエイターとしての存在価値は何か?」
「スタイルや技法がすぐ模倣・拡散され、流行が目まぐるしく変わる中で、どう振る舞えばいいのか?」
「社会がますますわかりやすさや消費しやすさを求めるとき、それに寄り添うべきか、抗うべきか?」
実は、メディアが辿ってきた「問い/答えという関係性の段階的解体」の歴史の中に、これらの疑問に答えるヒントが隠されています。絵画から現代のAR/VRまで、メディアは作り手と受け手の関係を変えながら進化してきました。その変化の本質を理解することで、現代のクリエイターが実践できる新しいアプローチが見えてきます。
それは「答えを与える」のではなく「問いを投げかける」創造の技法です。
絵画・彫刻:永続的な「問い」の誕生
「再現」から「問いかけ」への転換
バラの花は「美しく見せるため」に咲いているわけではないのに、私たちはその美しさに心を奪われます。この「無目的性」こそが美的体験の核心だとカントは洞察しました。
さらに重要なのは「天才論」です。真の芸術家は既存の規則に従う者ではなく、新たな規則を創造する者だとされます。天才が作り出したものには「精神」が込められ、観る者に考えさせ、解釈や省察によって次々に新しい意味が開かれる、としました。
静的だが永続的な「問いかけ」
絵画や彫刻は、「永続的な問い」を実現しました。ダ・ヴィンチの『モナリザ』の微笑みが何世紀にもわたって人々を魅了し続けるように、静的なメディアは時間を超越して問いかけ続ける力を持っています。優れた絵画は「これは何を意味するのか?」という問いを観る者に投げかけながら、決してひとつの「正解」を与えません。むしろ、観る者一人ひとりが自分なりの答えを見つけることを促します。
文学:問いの時間的深化
内面への探究の始まり
文学は、絵画の静的な問いかけを時間軸に展開したメディアです。特に19世紀の小説は、人間の内面や社会の複雑さを、読者の想像力を通じて探究する新たな可能性を開きました。
ドストエフスキーの『罪と罰』やカフカの『変身』が示すように、優れた文学は明確な「答え」を提示するのではなく、読者を深い「問い」の渦中に引き込みます。これらの作品は、読者一人ひとりが自分なりの解釈を見つけることを求めています。
個人化された問いかけ
文学は、読者の内的体験の時間と物語の時間を重ね合わせることで、極めて個人的でありながら普遍的な「問いかけ」を実現しました。同じ小説を読んでも、読者の人生経験や読む時期によって、全く異なる問いが立ち上がります。文学は「問いかけ」というメディアの本質的な力を、時間性と内面性において深化させました。
現代アート:問い/答えという枠組みの破壊
メディアそのものへの根本的挑戦
20世紀に入ると、芸術は自分自身の前提条件を問い直し始めました。ここで起こったのは、単なる問いかけの深化ではありません。問い/答えという枠組み・関係そのものの破壊です。
デュシャンの「泉」(1917年)は、「これは芸術か?」という問いを投げかけることで、芸術の定義そのものを揺るがしました。「美術館」「展示」「批評」といった芸術制度の権威性そのものへの挑戦です。
ジョン・ケージの「4分33秒」(1952年)は、演奏者が何も演奏しない「沈黙の音楽」によって、音楽の境界を破綻させました。音楽は「聴かれるもの」から「体験されるもの」へと変容し、聴衆は受動的な受け手から能動的な参加者へと変容しました。
関係性そのものの再設計
現代アートは、作品と鑑賞者の関係、芸術と非芸術の境界を意図的に破ることで、創造的体験の構造そのものを再設計しました。現代アートは、従来の「創造者が答えを提示し、鑑賞者がそれを理解する」という一方向的な関係を破壊し、「共創的な関係性」を生み出したのです。
映画(ゴダール):答えの徹底的拒絶
「わかりやすさ」への意図的な挑戦
映画というメディアの中で、問い/答えの関係を最も根本的に破壊したのが、ジャン=リュック・ゴダールです。「映画とは何か」を問い続けた彼の作品は、しばしば観客の「受け身の楽しみ」を裏切る構造になっており、むしろ観客を映画の一部に巻き込み、「あなたにとって映画とは何か?」を考えざるを得ないように仕掛けられています。ゴダールは映画を「観客が問いを受け取り、自分なりに考える装置」として使っていた、と言えます。
映画の特殊性を利用した答えの拒絶
映画がこのような徹底的な「答えの拒絶」を可能にしたのには、映画固有の特性があります。
・時間芸術としての性質:観客は「この後どうなるのか?」という問いを抱きながら鑑賞する
・複合メディア:映像、音響、演技が多層的に絡み合い、単一の解釈を拒む
・新しいメディアの自由度:既存の権威や伝統に縛られない実験が可能
ゴダールは、映画そのものを実験の場にし、「映画とは何か?」という問いを観客と共有しながら、映画の限界を押し広げようとしていたと言えます。
ゲーム:問い/答えの完全な解放
「目的なき合目的性」の体験的実現
『ゼルダの伝説』や『エルデンリング』では、プレイヤーは明確なゴールに向かって進みながらも、その過程での自由な探索や偶発的な逸脱自体が意味や喜びを生み出します。達成よりも過程に価値を置く美的体験が、インタラクティブなメディアとして結実したのです。
完全なる無目的化の実現
ここに、カントの「目的なき合目的性」が体験として実現されています。プレイヤーはゴールに向かって進みながら、その過程での自由な探索や偶発的な逸脱自体が喜びとなり、意味となります。作り手は「遊べる環境」を提供し、プレイヤーが「遊び」を創造します。
AR/VR:日常空間への問い/答えの解放の侵入
現実と仮想の境界消失
日常空間の意味の書き換え
「没入」感覚の系譜的完成
創造の本質:可能性を創発するデザイン
メディアの進化が示す創造の本質
絵画・彫刻 → 永続的な問い
文学 → 問いの時間的・個人的深化
現代アート → 問い/答えという枠組みの破壊
映画(ゴダール) → 答えの徹底的拒絶
ゲーム → 問い/答えの完全な解放
AR/VR → 問い/答えの解放の日常への侵入
この系譜が示すのは、優れた創造物は「没入」を通じて受け手の深い問いへと導き、問いを通じて受け手の創造性を引き出す、ということです。
近代化されたクリエイター
本来のクリエイター:可能性を創発し、受け手の創造性を触発する
近代化されたクリエイター:問題を特定し、完璧な解決策を提示する
AIが「答え」を効率的に生成できる時代だからこそ、「より良い問いを立て、受け手の創造性を解放する触媒」としてのクリエイターの役割が重要になっていると言えます。
「答え」を手放す:触媒としてのクリエイターの役割
園芸家的なデザインプロセス
問いを通じて受け手の創造性を解放するクリエイターは、「答えを作る人」ではなく、「可能性を育てる園芸家」です。そこではデザインプロセスも以下のように変わっていきます。
Step 1:種を蒔く
・「どう使ってほしいか」ではなく「どんな発見をしてほしいか」を考える
・複数の解釈や使い方が可能な「種」を意図的に仕込む
Step 2:土壌を整える
・機能の一部を設計し、残りをユーザーの創造性に委ねる
・「不完全」であることを恐れず、成長の余地を残す
Step 3: 見守り、学ぶ
・ユーザーの予想外の行動を「想定外」ではなく「新たな芽吹き」として観察
・その成長から次に蒔くべき種のヒントを得る
園芸家的クリエイターのデザイン原則
園芸家的クリエイターは、以下のようなデザイン原則に基づいて、受け手の創造性を創発していきます。
1.未完成を目指す:「余白」の設計
完璧すぎる作品は、受け手の創造性を奪う可能性があります。意図的に「隙間」や「余白」を残し、相手の想像力を誘発します。
2.自分が消えるデザインを目指す:自己消失
最も効果的な時ほど、作り手やデザインの存在を意識させません。ユーザーが「使っている」感覚ではなく「実現している」感覚を得られる設計を心がけます。
3.想定外を歓迎する:創発促進の仕組み
ユーザーの「予想外の使い方」を観察し、記録し、次の創作・開発のヒントとして活用します。
4.プロセスを開く:参加の機会を提供
制作過程や思考プロセスを可能な範囲で共有し、受け手が「参加者」になれる機会を提供します。
各分野での実践
各分野のデザインでは、従来のやり方だけに捉われず、以下のような可能性を考慮することができるでしょう。
UXデザインの場合
従来:ユーザーが迷わないよう、すべての手順を明確に指示
創発型:ユーザーが自分なりの使い方を発見できる余地を残す
コンテンツ制作の場合
従来:メッセージを確実に伝達するため、明快に説明
創発型:受け手が自分なりの解釈や応用を見つけられる「隙間」を意図的に設ける
プロダクト開発の場合
従来:想定される用途に最適化した機能を搭載
創発型:ユーザーが予想外の使い方を生み出せる柔軟性を保持
教育コンテンツの場合
従来:知識を体系的に整理して伝達
創発型:学習者が自ら発見や気づきを得られる「問いかけ」を設計
社会的創造性の触媒として
エフェクチュエーションと集合的創造
経営学者サラス・サラスバシーが提唱するエフェクチュエーション理論は、この転換を明確に示しています。従来のコーゼーション(因果論)アプローチは、まさに「答えを与える」思考そのものです。明確な目標(=答え)を設定し、それを達成するための最適な手段を選択する。これは「問題を特定し、完璧な解決策を提示する」近代化されたクリエイターと同じ構造です。
一方、エフェクチュエーションは「答えを手放す」アプローチです。手持ちの資源から出発し(「今、何ができるか?」)、偶然を味方につけ、多様なステークホルダーとの相互作用を通じて新しい可能性を創発させます。これは、ゲームにおいてプレイヤー自身が「遊び」を創造する構造と同じです。不確実性が高い問題に対しては、エフェクチュエーションが有効であることが明らかになっています。
気候変動、社会格差、AI倫理といった複合的課題は、単純な正解が存在しない「厄介な問題(wicked problems)」です。これらの課題に対しては、問題を特定し、完璧な解決策を提示しようとするのではなく、答えを手放し、多様な人々を結びつける触媒となり、解決策を共同で創発していくアプローチが有効です。
社会変革のファシリテーターとして
ソーシャリー・エンゲージド・アートの実践者たちは、すでにこの方向を先取りしています。
Ai Weiwei
政治的な問いかけを作品に込めることで、観る者との対話を誘発し、新たな政治的認識を共創する
バンクシー
既存のアート流通システムを迂回し、街頭という公共空間で人々との直接的な対話を生み出す
テアスター・ゲイツ
廃墟という「負の資源」を起点に、地域住民との協働を通じて文化的拠点を創発させ、コミュニティ再生の新たなモデルを提示する
これらの実践が示すのは、現代のクリエイターに求められているのが「個人の表現」を超えて「社会の創造性を解放する触媒」となることです。それは、コミュニティが自ら課題を発見し解決策を生み出せる場をデザインし、異なる背景を持つ人々が出会い、対話し、共創できる仕組みを提供することを意味します。さらに、既存の制度や権威に依存することなく、新たな価値を創発できるプラットフォームを構築することでもあります。
今「答えを手放す」ことの意義
おわりに
「AIで何でも作れてしまう時代に、クリエイターとしての存在価値は何か?」
「スタイルや技法がすぐ模倣・拡散され、流行が目まぐるしく変わる中で、どう振る舞えばいいのか?」
「社会がますますわかりやすさや消費しやすさを求めるとき、それに寄り添うべきか、抗うべきか?」
あなたは、この疑問に答えるためのヒントが見つかりましたか?
参考文献
イマヌエル・カント(1987)『判断力批判』篠田英雄 訳 岩波文庫
サラス・サラスバシー(2015)『エフェクチュエーション (【碩学舎/碩学叢書】)』加護野忠男・高瀬進・吉田満梨 訳 碩学舎
ボリス・グロイス(2012)『アート・パワー』石田圭子・齋木克裕・三本松倫代・角尾宣信 訳 現代企画室

