ほぐれるCX

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【第5回】CX×EXで人的資本経営を成長ドライバーに

〜指標連携で実現する持続的企業成長〜 

Written by Hideaki Shirane

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「人的資本経営銘柄に選ばれました」「健康経営優良法人に認定されました」こうした成果を上げている企業が増えています。素晴らしい取り組みです。その次のステップとして、人的資本経営を真の成長ドライバーに進化させませんか?その鍵となるのが、CX(顧客体験)の視点を人的資本経営に織り込むことです。

 

人的資本経営の「次のステップ」が求められている

経済産業省は「人材をコストではなく資本と捉え、その価値を最大化することで、持続的な企業価値向上を実現する」としています。つまり、組織能力や従業員の体験が、最終的な企業成果につながることを前提に、人的資本の状況を可視化しましょう、ということです。しかし、実際に運用を始めてみると、こんな課題に直面する企業が少なくありません。

・研修や健康施策は充実したものの、それが事業成果にどうつながっているかが見えにくい
・従業員エンゲージメントは向上したが、それにより顧客満足度が向上したのかが不明確
・人的資本経営/健康経営の投資対効果を説明するデータが不足している

デロイトトーマツの調査によると、76%の企業が「経営戦略と人材戦略の連動」「人事施策と成果目標の連動」ができていないという実態が明らかになっています。

この根本的な原因は、人的資本投資を企業価値向上ストーリーに繋ぐための「橋」が架けられていないことです。その橋がCXです。

 

CXが人的資本経営を変える理由

心理学者ハーズバーグの二要因理論を応用して考えてみましょう。人的資本投資や健康経営は「衛生要因」つまり不足すると問題が生じるが、それだけでは成長につながらない要素です。一方、顧客価値の創造は「動機要因」、つまり企業の成長を実際に推進する要素です。従来の人的資本経営では、この二つがうまく連動していませんでした。

 

これまでのアプローチ

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この「?」の部分に、CXを位置づけることで、投資が確実に成果につながる流れを作ることができます。

 

新しいアプローチ

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あなたの会社の現在地を確認してみましょう

まず、自社が今どの段階にいるかを客観的に把握してみましょう。企業の成長は、「人的資本経営の成熟度」と「顧客提供価値の高さ」の二軸で捉えることができます。

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もしあなたの会社がC象限に留まっているとしたら、とてももったいない状態です。目指すべきはA象限、つまり人的資本経営の成果が直接的に顧客価値向上につながっている状態です。この移行を実現するために必要なのが、人的資本経営にCXを組み込むことです。なぜ、CXなのでしょうか。

 

人的資本経営とCX/EXを繋ぐ

人的資本経営は「従業員を成長させる投資」ですが、それが「従業員が成長を実感できる投資」になっているかどうかで、その効果は大きく変わります。つまり、人的資本経営への投資はEX(従業員体験)の視点で設計・評価する必要があります。人的資本経営とEXを繋ぐと、そこにCXが繋がっています。満足度の高い従業員は、自然とお客様に対してポジティブな態度で接し、心からの配慮や気遣いを提供します。同時に、お客様からの感謝や称賛は従業員の大きな喜びとなり、仕事の意味を実感させ、さらなる努力への動機を生み出します。このように、EXとCXは相互に影響し合う循環構造を形成しています。つまり、EXの観点から人的資本経営を設計し、投資効果を測定・向上させることが、CXの向上に直結します。

 

人的資本経営にCX/EXの視点を組み込む具体的方法

人的資本経営にCX/EXの視点を組み込む際のポイントは、以下の3つです。

1.EXの観点からプログラムを設計・評価する
2.CX向上に直結する人勢育成施策に重点的に投資する
3.人的資本投資の一環として組織カルチャー変革に取り組む

実際にどのように人的資本経営の各施策にCXの視点を組み込んでいけばよいのでしょうか。ここでは、人材育成と健康経営を例に、具体的な方法をご紹介します。

 

人材育成にCX/EXの視点を組み込む

従来の人材育成では、研修時間や受講率、満足度といった「実施すること自体」に焦点が当たりがちでした。しかし、CX/EXの視点を組み込むことで、研修の目的と成果が劇的に変わります。

 

従来のアプローチの課題 

年間研修時間○○時間の達成や、資格取得者数の増加を目標とし、研修を受けること自体が目的になってしまうと、研修によって向上したスキルが実際に顧客価値創造にどれだけ貢献したかが見えない状況になります。


CX/EXの視点を組み込んだアプローチ 

研修プログラムをEXの観点から設計します。従業員が「役に立った」「自分の成長につながった」と感じられるようにすることが重要です。「CX」「顧客インサイト」「カスタマージャーニー」「CXデザイン」「CX測定」など、CX向上に直結するプログラムを重点的に実施します。また、すべての研修プログラムには「この学習が顧客にどのような価値をもたらすか」という視点を含めます。例えば技術研修など、一見CXとは関係ないと思える研修でも「その技術は最終的には顧客価値を向上するためにある」というメッセージをしっかり伝えます。研修後には、学んだスキルを実際に活用する機会を設け、どのように顧客価値創造に役立てたか振り返るようにします。
 

この変化により、研修投資の効果を以下のような流れで追跡できるようになります。

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健康経営にCX/EXの視点を組み込む

健康経営においても、同様の転換が可能です。従来は健康診断受診率やストレス値の改善といった「従業員の健康状態」に焦点が当たっていました。
しかし、CX/EXの視点を組み込むことで、健康経営の価値がより明確になります。
 


従来のアプローチの課題 

健康診断の受診率100%やストレスチェックの実施といった、健康指標の改善自体が目的となり、それが従業員のパフォーマンス向上や顧客へのサービス品質向上にどうつながるかが見えにくい状況です。
 
 

CX/EXの視点を組み込んだアプローチ

まず、健康指標の改善の最終的な目的は従業員が顧客価値向上に向かって生き生き仕事をすることにある、という考え方をしっかり共有します。その上で、健康的な生活を通じて顧客価値向上に取り組んでいる従業員を発見・称賛するといった施策を通じて、従業員が健康とCXを結びつけて考えられるようにします。また、自社の健康経営の施策を顧客向けに提供する、という取り組みはCX向上に直結し、効果的です。

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組織カルチャーへの直接的投資

人材育成や健康経営へのCX/EX視点の組み込みの一環として、自社のカルチャーそのものを顧客志向に変革するための直接的な投資も重要です。CXカルチャーが根付いた組織では、日常的に以下のようなことが自然に起こります。
まず、全ての従業員が「顧客の成功が自分たちの成功」だと心から考えるようになります。営業部門だけでなく、経理も人事も製造部門も、それぞれが「この仕事は最終的に顧客にどんな価値をもたらすか?」という視点を持って働いています。次に、部門を超えた意思決定の際に「顧客体験の向上」が自然な判断基準になります。新しいシステム導入を検討する時も、人事制度を変更する時も、「これは顧客にとってより良い体験につながるか?」が重要な評価軸となります。そして、顧客からのフィードバックが組織全体の学習と改善の源泉となります。クレームも含めた顧客の声が、単なる苦情処理ではなく、組織をより良くするための貴重な情報として積極的に活用されるようになります。

ここでは特に効果的な3つの施策をご紹介します。
 
 

顧客の声を全社に広げる

まず重要なのは、すべての従業員が定期的に顧客の声を聞く機会を作ることです。経理部門、人事部門、製造部門など、普段は顧客と直接接しない部門の従業員も、定期的に顧客訪問に参加したり、顧客からのフィードバックを直接聞く機会を設けます。この取り組みにより、全従業員の顧客理解度が向上し、自分の仕事が最終的に顧客にどのような価値をもたらすかを実感できるようになります。
 

CX改善の草の根活動を後押しする 

それぞれの部門からCX推進をリードする「CXチャンピオン」を任命し、自部門のメンバーのCXの理解促進やCX推進のサポートをしてもらいます。この制度を導入することで、組織全体のCXへの取り組みが加速します。

CX改善の取り組みを発見し、称賛する 

CX改善に取り組んでいる従業員を積極的に見つけ出し、その活動を称賛・共有するしくみを作ります。例えば、毎月、各部門から従業員を推薦・選出し、その事例を社内報やイントラネットに掲載します。
 
 
 

指標を繋いで成果を見える化する仕組み

これらの取り組みの効果を確実に把握し、継続的に改善していくためには、適切な指標の設計と測定が欠かせません。従来のように人的資本の指標と顧客関連の指標を別々に管理するのではなく、両者を繋いで企業価値向上のストーリーとして把握できるようにします。
そのためには、投資から最終成果まで、4つのレベルで指標を設計する必要があります。
最初のレベルは「投入指標」です。人的資本への投資額を施策ごとに把握します。
次のレベルは「能力指標」です。従業員のスキル向上度や健康改善度、顧客理解度などを測定します。
第三のレベルは「体験指標」です。従業員エンゲージメントと、顧客満足度(CSAT)や顧客ロイヤルティ(NPS)を並行して測定し、両者の関連性を把握します。
最終レベルは「成果指標」です。顧客単価、リピート率、顧客生涯価値(LTV)、そして売上成長率や市場シェアといった外部成果、離職率低下や採用コスト低下といった内部成果を把握します。
 
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段階的に進める実装ロードマップ

ここまでご紹介した取り組みを一度に実施するのは現実的ではありません。以下、3つのフェーズに分けた実装方法をご提案します。
 
 

フェーズ1:現状把握と基盤づくり(最初の1ヶ月)

まず最初に行うべきは、自社の現在地の正確な把握です。先ほどの二軸マトリクスで自社がどの象限にいるかを特定し、人的資本関連の指標と顧客関連の指標を現状どの程度把握できているかを確認します。
この段階では、データ収集の体制を整え、現状の課題を明確にすることに集中します。そして、改善の優先順位を決定し、次のフェーズで取り組むべき重点領域を特定します。
 

フェーズ2:重点領域での試行導入(続く6ヶ月)

現状把握ができたら、全社展開の前に重点部門や重点施策での試行導入を行います。例えば、CX向上に直結する人材育成プログラムから始めたり、顧客接点の多い営業部門やコールセンターからCXカルチャーの取り組みを始めたりします。

同時に、指標を繋ぐ仕組みの構築を進めます。投入指標から成果指標までのデータを連携させる仕組みを整備し、初期の効果測定を行いながら、全社展開のための計画を立て、準備を整えます。

フェーズ3:全社展開と継続的改善(続く12ヶ月以降)

試行導入の効果が確認できたら、全社での本格展開を開始します。この段階では、継続的な改善サイクルを確立することが重要です。定期的にデータを分析し、仮説を立て、改善施策を実行し、その効果を測定するPDCAサイクルを回し続けます。最終的に、C象限からA象限への移行を実現し、持続的な企業価値向上を達成します。
 
 
 

成功のための3つの重要なポイント

まず、目的を明確にすることです。人的資本経営の最終的な目標は、顧客価値向上を通じた企業価値向上であることを常に意識する必要があります。
次に、統合的なアプローチを取ることです。人事施策を個別に実施するのではなく、CXカルチャーという共通の軸で統合し、相乗効果を生み出します。
最後に、データによる検証と改善を継続することです。感覚的な判断ではなく、客観的なデータに基づいて効果を測定し、継続的な改善を図ります。
人的資本経営や健康経営の制度整備は、価値のある重要な第一歩です。しかし、その効果を最大化し、企業価値向上に結びつけるためには、次のステップが必要です。
それは、人的資本経営にCXを組み込み、すべての投資と活動を顧客価値創造につなげること。そして、その効果を適切な指標で測定し、継続的に改善していくことです。
 
あなたの会社は、どの象限にいますか?どんな企業価値向上ストーリーが描けますか?
 


参考文献
フレデリック ハーズバーグ(1968)『仕事と人間性: 動機づけ-衛生理論の新展開』北野利信 訳 東洋経済新報社
人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書(人材版伊藤レポート2.0)
デロイト トーマツ調査:人的資本情報開示にて人事戦略が目指す最終成果を示していない企業が76%
 

Written by Hideaki Shirane