山本沙織さんの静かな変化
山本沙織さん(32歳・IT企業勤務)は、最近自分でも説明のつかない変化を感じていました。
インスタグラムで話題のカフェに行くことも、限定コスメをチェックすることも、なんだか疲れてしまいます。新作スイーツの投稿を見ても「また新しいのが出たのね」という感想しか浮かびません。以前なら「今度行ってみよう!」とワクワクしていたのに。
「私、飽きてるのかな」
友人と行くお店も、最近オープンしたカフェより、いつものお店の方が心地よく感じます。お店へ行く時の服装も、着慣れた無印良品のシャツとユニクロのデニム。「つまらない人になったのかも」と一瞬不安になりますが、実際のところ、この「変わり映えしない日常」が今の自分には一番しっくりきます。
SNSでは相変わらず「新発見」や「隠れた名店」の情報が飛び交っていますが、山本さんはそれらを眺めながら思います。
「もう、刺激はなくてもいいかな」
山本さんのような感覚を持つ人は、実は少なくありません。常に新しい刺激を求め、情報をキャッチし続けることに、静かに「飽き」を感じ始めている人がいます。それは、むしろ成熟した消費者としての自然な変化なのかもしれません。
飽きとは何か:生物学的な必然性
山本さんが感じている「飽き」は、決して個人的な問題ではありません。飽きは人間の脳に組み込まれた、極めて自然で合理的なメカニズムです。
脳科学的には、飽きは適応的な機能として理解されているそうです。新しい刺激に出会った時、脳は注意を向けてドーパミンを放出します。しかし同じ刺激が繰り返されると、脳はそれを「予測可能で安全なもの」として処理し、注意のリソースを他に向けるようになります。これは脳の効率性を高める仕組みでもあります。
興味深いのは、この現象が個人レベルだけでなく、社会全体でも観察できることです。ガートナーのハイプサイクル理論を思い出してください。新技術への「過度な期待のピーク」から「幻滅の谷」への移行は、まさに集合的な飽きのプロセスそのものです。VRやメタバースが一時期大きく注目され、その後急速に話題から消えていったように、集合的な注意には限りがあり、新しい刺激を求めて次のトピックに移っていきます。
つまり、飽きは宿命的にやってくる現象です。どれほど優れた体験でも、繰り返しによって新規性は失われ、予測可能性が高まります。これは物理法則のような不可避性があります。
飽きへの対処:二つの道
この避けられない「飽き」に対して、企業は大きく二つのアプローチを取ってきました。
対抗する道
一つは飽きと戦う道です。常に新しい刺激を提供し続け、顧客の興味を引きつけ続けようとします。ファッション業界の「今季の流行」、テクノロジー業界のアップグレードサイクル、意図的な陳腐化戦略などがこれに当たります。自社の新機能やサービスを打ち出すことで競合の既存価値を「飽きさせる」手法もあります。Netflixが登場した時のレンタルビデオ店や、Uberが既存タクシー業界に与えた印象がその例です。
共存する道
もう一つの道があります。飽きと共存し、時にはそれを活用する道です。
慣れ親しむ/習慣になる道では、認知的な負荷を軽減する方向に向かいます。毎朝のコーヒーや通勤ルートのように、意識的な選択から自動的な行動へと移行します。SNSやカレンダーアプリなどもこれに当たります。
顧客のアイデンティティの一部になる道では、より深いレベルでの統合が起こります。アップルやハーレーダビッドソンのユーザーのように、その製品やサービスを使うことが「自分らしさ」の表現になります。
空気のようになる道では、存在が当たり前すぎて意識されなくなります。電気や水道、インターネットのような社会インフラや、サブスクリプションサービスがこれに該当します。
江戸時代の知恵:「持続性」「周期性」「粋」の美学
実は、飽きとの上手な付き合い方について、私たちには豊富な歴史的知見があります。江戸時代の日本文化には、飽きを前提とした洗練された対処法が組み込まれていました。
老舗に学ぶ持続的関係
老舗企業は、飽きを前提にしながらも、顧客の興味を何世代にもわたって維持してきた実践的なマスターです。持続性は老舗の真骨頂です。
榮太樓總本鋪の甘名納糖(あまななっとう)は「江戸時代の味を今につなぐことを一番大事にし、製法や原料は江戸時代のまま」を守り続けています。
虎屋は、室町時代後期の創業から今日に至るまで「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」という経営理念を掲げてきました。老舗は、こういった持続性を通じて飽きを超え、世代を超えた愛着を育んできました。
一方、季節性・周期性の活用も老舗の得意分野です。うなぎ屋の土用の丑の日、長命寺の桜もちなど、季節と結びついた商品展開は、顧客にとって年中行事の一部となり、「その時期が来た」という期待感を生み出し、顧客に生活のリズムを与えています。
九鬼周造の「いき」の構造
江戸文化の精髄を哲学的に分析したのが、九鬼周造の『「いき」の構造』です。九鬼は「いき」を三つの契機で構造分析しました:「媚態」(色っぽさ、異性への関心)、「意気地」(武士的な気概)、「諦め」(執着からの離脱、悟り的な境地)です。
この構造は、飽きへの対処として非常に興味深いものです。「媚態」で新鮮な刺激を保ちつつ、「意気地」で安易に流されない矜持を保ち、「諦め」で過度な執着や期待から自由になる。これは飽きと共存するための精神的な技法とも読めます。
特に重要なのは「諦め」の美学です。これは諦観や投げやりではなく、過度な刺激や完璧性への執着から解放された、成熟した美的態度を意味します。九鬼の分析で示唆深いのは、「いき」が不完全性を前提とする美学だということです。完璧や完成を目指すのではなく、微妙なバランスや余韻の中に美を見出します。
現代の実践例:「諦め」の商品化
この「諦め」の美学は、現代日本の成功企業にも見ることができます。
無印良品の「これでいい」
無印良品の「これでいい」は、「いき」的な意味での「諦め」の現代的な表現かもしれません。
無印良品の製品は、過度な刺激からの解放として機能しています。「最高級」でも「最先端」でもない、しかし「必要十分」であるという境地は、消費主義的な「もっと、もっと」という欲望からの諦観的な離脱とも読めます。
完璧主義への諦めも含まれています。無印の商品は意図的に「余白」を残し、完成されすぎていません。製品の機能は基本的にシンプルで、ユーザーが自分なりに使いこなす余地を残しています。
ブランド競争への諦めも興味深い点です。目立とうとせず、差別化を声高に叫ばず、「どこにでもある普通のもの」であることを受け入れています。これは現代の差別化競争からの潔い離脱です。
ユニクロの合理的諦め
ユニクロにも「諦め」の美学的な側面があります。無印良品とは少し異なる種類の「諦め」です。
ファッション競争への諦めが明確です。「今季のトレンド」や「個性的なデザイン」を追うのではなく、「ベーシックで良質なものを、手頃な価格で」という割り切りがあります。
「服で目立つ」ことへの諦めもあります。ユニクロを着ることで「ユニクロっぽい」と思われることを受け入れる。むしろそれを「気にしない自分」のスタンスとして積極的に選択する人も多いでしょう。
これらの企業は、「飽きた人に、飽きられたものを提供する」という逆説的な構造を持っています。顧客はトレンドを追うことに疲れ果て、企業は「特別である必要はない」と考える。両者が同時に「もういいや」という境地に達した時に成立する関係性です。
月見バーガーの季節性
一方で、マクドナルドの月見バーガーは、江戸時代の季節感を現代のマスマーケットに応用した事例です。季節の儀式化が見事に機能しています。秋になると「月見バーガーが食べられる」という期待感が生まれ、それが一つの生活のリズムになっています。これは江戸時代の年中行事と同じ心理的効果を持ちます。飽きを防ぐサイクル設計としても巧妙です。年中販売していたら飽きられるかもしれない商品を、期間限定にすることで「特別感」と「希少性」を演出し、むしろ待ち遠しい存在にしています。
重要なのは、これが「欲望の煽動」ではなく「生活のリズム」を提供している点です。「買わなければ」というプレッシャーではなく、「今年も月見バーガーの季節がきたな」という自然な想起を促しています。
顧客を「粋」へ導くCXデザイン
これらの事例から、CXデザインにおける新しい可能性が見えてきます。「顧客を粋へと導くCX」という発想です。むしろ、語源から見る「飽き」「諦め」の本来の価値を理解することで、その可能性がはっきりしてきます。
語源から見る「飽き」「諦め」の本来の価値
「飽き」の意味の変遷:満足から嫌悪へ
「飽く」という言葉の本来の意味は、「十分に満ち足りる」 ことでした。お腹がいっぱいになること、必要なものが十分に得られること、つまり満足や充足を表す、本質的にポジティブな概念だったのです。
ところが時代と共に、この「もう十分」という満足感が「もうこれ以上は要らない」という拒絶感に変化し、さらに「うんざりする」という嫌悪感に転じました。満足の完了を示すサインが、いつの間にか否定的な感情として捉えられるようになったのです。
「諦め」の語源:断念ではなく明晰な理解
「あきらめる」の語源は、さらに興味深いものです。この言葉はもともと 「明らかにする」 という意味でした。「諦」という漢字自体が「明らかにする、詳しく調べる」という意味を持っています。
「諦める」の本来の意味は、状況を明らかに理解し、物事の本質や真理を見極め、現実を客観的に把握することでした。「状況を明らかに理解して受け入れる」という建設的な行為が、いつしか「望みを断念する」という消極的な意味に変化してしまったのです。
九鬼周造が分析した「いき」の構造における「諦め」も、まさにこの本来的な意味=「明晰な理解に基づく受容」として理解できます。これは投げやりな断念ではなく、物事の本質を見極めた上での美的な選択なのです。
「諦め」を価値に転換するCXデザイン
本来の語源的意味に立ち返ると、顧客の「飽き」を「十分に満たされた状態への到達」として、「諦め」を「明晰な判断に基づく選択」として捉え直すことができます。
満足の完成を肯定するメッセージング
「最新でなくてもいい」「完璧でなくてもいい」「人と同じでもいい」という境地を、顧客が自然と受け入れられるようなメッセージが重要です。これは消費欲求の鎮静化につながります。無印良品やユニクロが実践しているのは、まさにこの「諦め」を価値に転換するプロセスです。顧客は制約を受け入れるのではなく、より洗練された価値観を獲得することで、自然と持続可能な消費行動を選択するようになります。
本質を見極める力の支援
情報過多の現代において、顧客が自分にとって本当に必要なものを見極める力を育むサポートを提供することが重要です。これは短期的な欲望ではなく、長期的な満足に基づく選択を促進します。
コミュニティとしての「粋」の共有
同じような価値観を持つ顧客同士が、お互いの「諦め」の美学を認め合い、高め合える緩やかな場の提供も効果的です。これはSNSの承認欲求競争とは対極の、落ち着いた関係性を育みます。顧客が「もう十分満足している状態」を肯定し、「本質的に必要なものを見極める力」を共有し、「表面的な刺激への依存からの自由」を実感できるコミュニティは、真の意味でのブランドロイヤルティを生み出します。
持続可能な消費への貢献
この「顧客を粋へと導くCX」は、ケイト・ラワースが提唱するドーナツ経済学が目指す持続可能な消費社会の構築にとって、重要な鍵になる可能性があります。
消費量の適正化
「粋」の美学は本質的に節制と洗練を重視するため、過剰消費を自然と抑制します。
循環性の促進
「新しいものへの執着」から解放された顧客は、修理や再利用、シェアリングをより受け入れやすくなります。
社会的基盤の強化
「粋」なコミュニティは、競争よりも協調を重視し、社会的結束を高めます。
生態学的上限の尊重
「これでいい」の感覚は、自然と環境負荷の適正化につながります。
このように、本来の語源的意味に立ち返ることで、「飽き」や「諦め」は企業にとっての課題ではなく、顧客との深い関係性を築き、持続可能な社会を実現するための重要な足がかりとなるのです。
「飽き」に寄り添うCXの可能性
山本沙織さんに限らず、多くの現代人が同じような「消費の仕方自体への飽き」を感じ始めています。これは感性の劣化ではなく、むしろ成熟した消費者としての自然な進化です。
21世紀の成熟した消費社会において、顧客の「飽き」や「諦め」を価値に転換するCXデザインは、企業と顧客の健全な関係性を築き、持続可能な社会を実現するための重要なアプローチになるかもしれません。それは決して「我慢の強要」ではなく、より洗練された価値観を共有する「美学の提案」です。
おわりに
山本さんは、今日もいつものカフェで、無印良品の白いシャツを着て、いつものコーヒーを飲んでいます。スマホには相変わらず新しいレストランやカフェの情報が流れてきますが、もう焦ることはありません。
「あ、美味しそう。でも今度でいいかな」
そう思いながら、目の前のコーヒーをゆっくりと味わいます。以前なら「また同じもの」と感じていたかもしれませんが、今は違います。同じコーヒーでも、今日の気分、外の天気、隣に座る人の会話。すべてが微妙に違う体験を作り出していることに気づいています。
山本さんは知らず知らずのうちに「粋」の境地に近づいているのかもしれません。新しい刺激を求めることから解放され、自分にとってちょうどいい世界の中に豊かさを見出している。それは決して諦めではなく、より深い満足を得るための選択なのです。
企業もまた、山本さんのようなお客様に寄り添う方法を模索するようになるかもしれません。驚かせることではなく、安心させること。新しさではなく、ちょうどよさ。競争ではなく、共存。
山本さんのようなお客様が増えることで、きっと社会全体がもう少し穏やかで、持続可能な方向に向かっていくでしょう。あなたの「飽き」もまた、そんな変化の一部なのかもしれません。
参考文献
池谷裕二(2008年)『ココロの盲点: 脳と心のふしぎな世界』講談社
九鬼周造(1930年)『「いき」の構造』岩波書店
ケイト・ラワース(2018年)『ドーナツ経済学が世界を救う――人類と地球のための9つの目標』 黒輪篤嗣 河出書房新社
榮太樓總本鋪の甘名納糖
とらや 社長挨拶