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【第7回】ソーシャルマーケティングの50年史

1.0から3.0への進化が示す社会変革の成果と課題

Written by Hideaki Shirane

1.0から3.0への進化が示す社会変革の成果と課題

1971年、フィリップ・コトラーとジェラルド・ザルトマンによって社会課題解決のためのマーケティング手法として誕生したソーシャルマーケティングが、この半世紀でどのような変貌を遂げてきたかご存知でしょうか?「商業マーケティング手法で社会課題を解決する」という発想から始まったこの分野は、今や企業経営の中核戦略にまで発展しています。

ここでは、コトラーの「1.0」「2.0」という表現を真似て、ソーシャルマーケティングの発展を4つの段階に分類し、それぞれの特徴と今後の展望について考察してみます。この分類は学術的な定説ではなく、筆者独自の整理による枠組みです。

ソーシャルマーケティング1.0:すべての始まり(1971年~)

1971年、フィリップ・コトラーとジェラルド・ザルトマンが『Journal of Marketing』誌に発表した論文「Social Marketing: An Approach to Planned Social Change」。これが、ソーシャルマーケティングという概念の出発点でした。

当時のアメリカは第二次世界大戦後の大量生産・大量消費時代。欠陥商品や有害食品が出回り、公害問題も深刻化していました。そんな中で生まれたのが「企業のマーケティング手法を社会問題の解決に活用する」という発想でした。

このアプローチは、禁煙キャンペーンによる喫煙率の低下、シートベルト着用率の向上、予防接種の向上などで成果を上げました。現在でも、1.0は多くの場面で有効です。特に、公衆衛生危機時の迅速な情報伝達(新型コロナウイルス対策)、法制度変更の全国的周知(マイナンバー制度導入)、緊急性の高い安全啓発(自然災害時の避難行動)などでは、1.0の科学的かつ効率的なアプローチが有効です。

一方で、複雑な社会課題や文化的多様性への対応、長期的な行動定着においては限界も見えてきました。これが次の段階への発展の契機となります。

ソーシャルマーケティング2.0:住民参加型アプローチ(1990年代後半~2000年代)

1990年代後半、ソーシャルマーケティングに2つの大きな変化が同時に起きました。

行動科学の導入

1999年、ダグ・マッケンジー=モーアが『Fostering Sustainable Behavior』を発表。コミュニティベース・ソーシャルマーケティング(CBSM)という新しいアプローチを提示しました。

CBSMの核心は「コミュニティメンバー間の直接接触と構造的障壁の除去」でした。従来の「情報提供すれば行動が変わる」という考えを根本から覆し、「人々がすでに持っている解決策を発見し、それを広める」アプローチを確立したのです。

「ポジティブデヴィアンス」というアプローチも登場しました。「コミュニティ内の一部の個人が、同様の課題に直面しながらも、追加のリソースや知識を持たずに、他の人よりも問題をうまく解決する」現象に注目し、その成功要因をコミュニティ全体に広める手法が開発されました。

 

デザイン思考の導入

同じ頃、IDEOが「Human-Centered Design Toolkit」を公開。IDEO自らが解決するのではなく、ガイドブックの提供やトレーニングを通じて、デザイン思考を実践できる人材を育成しました。

リズ・サンダースは「コ・デザイン」を主導し、人々のために設計するのではなく、人々と一緒に設計する方法論を確立しました。

2.0の核心は「共感・共創・エンパワーメント」にあります。その最大の成果は持続可能性の向上です。「方法論の民主化」は、住民自身による課題解決力を高め、これにより、外部支援が終了した後も活動が継続されるケースが増加しました。

 

2.0の哲学的基盤:イヴァン・イリイチの思想

2.0の転換の思想的基盤となっているのが、イヴァン・イリイチが1970年代に提唱したコンヴィヴィアリティ(Convivality)」です。イリイチは専門家が人々の生活を支配する構造を鋭く批判しました。

・専門家が「問題を定義」し「解決策を提供」する構造の問題
・人々が受動的な「サービス受益者」になってしまう危険性
・本来、人々は自分たちの問題を解決する力と知恵を持っている
 

ソーシャルマーケティング2.0は、このイリイチの理想を実現しようとするものでした。住民の自律性を重視し、専門家支配に疑問を投げかけ、コミュニティの知恵を信頼する。これが2.0の根底にある価値観です。

 

ソーシャルマーケティング2.5:効率性への枝分かれ(2008年~)

2008年、新しい流れが生まれました。リチャード・セイラーとキャス・サンスティーンが『ナッジ』を出版。行動経済学に基づく「選択アーキテクチャ」という概念を提示しました。2010年には英国政府が「ナッジ・ユニット」を設立するなど、政策立案に行動科学を活用する動きが世界中に広がりました。

2.5の特徴:イリイチからの逸脱

ナッジアプローチは、2.0と同じように行動科学をベースとしています。しかし、その哲学は根本的に異なっていました。

・選択環境の設計で行動誘導
・効率性と即効性を重視
・専門家(設計者)が環境をコントロール
 

住民は「選択者」ではありますが、「設計者」ではありません。専門家が人々の行動を誘導するための環境を設計する。これは、ネガティブな言い方をすれば、イリイチが警告した「専門家による支配」の新しい形です。

一方で、ナッジには明確な利点もあります。大規模で迅速な行動変容を実現でき、コストも安い。政策立案者や企業にとって、非常に魅力的な手法でした。

こうして、ソーシャルマーケティングは2つの道に分かれました。

2.0ルート:住民参加型、時間はかかるが持続的変化
2.5ルート:専門家主導型、迅速だが表面的変化
 
 

ソーシャルマーケティング3.0:企業主導型アプローチ(2010年代後半~現在)

2015年の国連SDGs採択やESG投資の拡大を背景に、2010年代後半以降、企業が社会変革の主役として台頭するようになります。ESG投資家からの要求、サステナビリティ報告義務化、パーパス重視の消費者の増加、人材獲得競争の激化といった外部環境の変化に加え、企業が持つグローバルなリーチ力、潤沢な資源、迅速な意思決定力、データ・AI活用能力が、社会課題解決における企業の優位性です。

3.0では、ソーシャルマーケティングのためのツールキットとして、4Pマーケティング、参加型デザイン、行動科学、デザイン思考、ナッジ、これらすべてを課題の特性に合わせて活用することができます。企業は、これらのツールを「事業成果と社会成果の両立」のために使っていくことになるでしょう。しかし、3.0には避けて通れない問題が横たわっています。それは、イリイチが50年前に予見した「善意による支配」の再来です。

 

現代の「善意の支配」:3.0の構造的ジレンマ

ソーシャルマーケティング3.0が直面している問題は、単なる効率性の問題ではありません。より深刻な構造的矛盾です。
 
 

株主利益最大化の圧力

四半期決算での成果報告が求められる中、本当に必要な長期的変化(数年~数十年)にコミットできるでしょうか。

 

コントロール欲求

予測可能で管理しやすい成果を求める企業の特性と、予期しない方向への発展や自由な探索を必要とする創造性。この矛盾はどう解決できるでしょうか。

ブランド価値向上の思惑

「○○社のおかげで」という認知を追求する企業と、「自分たちでやった」という実感を必要とする人々の自律性。この両立は可能でしょうか。

 

新しい形の専門家支配

現代の企業主導アプローチには、イリイチが警告した問題が新しい形で現れています。

 

専門家化された市民参加

 企業が設計した「参加の枠組み」の中での活動。形式的には参加型ですが、本質的には企業がコントロールしている構造です。

 

商品化された社会変革

市民が「社会課題解決サービス」の消費者になってしまい、自ら問題を定義し解決する力が削がれる危険性があります。

 

技術決定論の復活

AIやデータ分析が「最適解」を提示し、人間の直感や創造性が軽視される危険性があります。

3.0の未来:イリイチ思想との両立は可能か

では、ソーシャルマーケティング3.0は行き詰まっているのでしょうか。必ずしもそうではありません。しかし、それは簡単なことではないでしょう。

 

3.0成功の条件

企業の自己制限
意図的に「コントロールを手放す」覚悟。成果の帰属を住民・コミュニティに委ねること。
 
時間軸の延長
短期的ROIへの執着を手放し、真の長期的価値創造への投資。
 
中間組織の活用 
 企業と住民の間に立つ独立した組織の重要性。企業の資源を使いながらも企業から独立した運営。
 
評価基準の追加 
 「企業の成果」「社会課題の解決」に加えて、「住民の自律性向上」への評価軸の追加。
 
 

おわりに

ソーシャルマーケティングの50年史は、効率性と自律性、専門性と民主性、スケールと人間性をめぐる価値観の変遷でもあります。イヴァン・イリイチが半世紀前に投げかけた「誰のための、何のための社会変革なのか」という問いは、企業主導の時代を迎えた今こそ、改めて考える必要があります。
3.0の成功条件は、企業という枠組みを超えるような変革を要求しているようにも見えます。それが成功した時、ソーシャルマーケティングはすでに4.0の時代に突入しているのかもしれません。

そこでは、企業も市民も行政も、境界を意識せずに同じテーブルを囲み、互いの役割を奪い合うのではなく補い合うでしょう。社会課題の解決は「誰の手柄か」ではなく、「どんな未来を紡げたか」で語られるようになり、変化はキャンペーンやプロジェクトの単位ではなく、生活や文化の呼吸のように続いていきます。

このような理想的な姿への萌芽は、すでに世界各地で芽生え始めています。
「プラットフォーム協同組合」は、その一つの形です。ライドシェアの運転手たちが自ら所有・運営する配車アプリ、農家が共同運営するオンラインマーケットプレイス、フリーランサーが協同で運営する仕事マッチングサイト。これらは、デジタルプラットフォームの効率性と、協同組合の民主的ガバナンスを融合させた新しいモデルです。企業でも国家でもない、第三の道として注目されています。
 

「コモンズ経済」の再評価も進んでいます。オープンソースソフトウェアやウィキペディアが示したように、私的所有でも国有でもない「共有財」として管理される資源が、驚くべき創造性と持続可能性を生み出すことが実証されています。都市農園、コミュニティエネルギー、地域通貨、タイムバンクなど、物理的な世界でもコモンズの実験が広がっています。

日本では、「地域共創」や「関係人口」といった概念が、新しい社会変革のあり方を示唆しています。企業と地域が対等なパートナーとして、互いの資源と知恵を持ち寄り、誰も支配しない協働の場を創る。これは、イリイチが夢見た「コンヴィヴィアルな道具」の現代的な実現形かもしれません。



参考文献
イヴァン・イリイチ(2015)『コンヴィヴィアリティのための道具』渡辺京二・渡辺梨佐 訳 筑摩書房
リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン(2022)『NUDGE 実践 行動経済学 完全版』 遠藤真美 訳 日経BP
リチャード・パスカル、ジェリー・スターニン、モニーク・スターニン(2021)『POSITIVE DEVIANCE(ポジティブデビアンス):学習する組織に進化する問題解決アプローチ』原田勉 訳 東洋経済新報社

IDEO. (2009). Human-centered design toolkit: An open-source toolkit to inspire new solutions in the developing world. IDEO.
Kotler, P., & Zaltman, G. (1971). Social marketing: An approach to planned social change. Journal of Marketing, 35(3), 3–12. 
McKenzie-Mohr, D., & Smith, W. (1999). Fostering sustainable behavior: An introduction to community-based social marketing. New Society Publishers. 
Sanders, E. B.-N. & Stappers, P. J. (2012) Convivial Toolbox: Generative Research for the Front End of Design. BIS Publishers

 

Written by Hideaki Shirane