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2026.04.28

Series|近未来小説:気候の変化を乗りこなす生活者たち—#01(日陰がインフラになった時代)



#01_日陰がインフラになった時代
 

このブログは、近い将来、気候の変化に対応しながら生活を送る皆さんの物語です。
環境問題はもはや「意識すべき対策」を超え、「全ての前提となる適応すべき変化」となりました。
今回は、12の未来シナリオから
「日陰がインフラになった時代」に焦点をあてたショートストーリーをお届けします。
 
 

日陰の地図 〜​日陰が​"インフラ"に​なった​2042年の夏〜


2042年8月、埼玉北部の熊谷市。
近頃は、真夏の気温が40度を超えることはもはや珍しくなくなっている。それでも土曜の朝、安藤はコーヒーを飲みながら涼しい顔でスマートフォンを開いた。「日陰ナビ」アプリのトップ画面には、今日のセビリアの地図が広がっている。エメラルドグリーンのルートが血管のように市内を走り、赤いアイコンが三か所、「現在気温38度 日陰率92% 今日のクールスポット」を控えめに主張していた。

特に予定のない午前だった。だからこそ、久しぶりにゆっくり外を歩いてみたい気分になった。安藤はアプリの「散歩モード」ボタンを押し、ルートを計算してもらう。目的地まで最短距離で向かうより三分長くなる代わりに、午後の日陰を多く通る別の道を提案してきた。迷う素振りもなく、日陰ルートを選び家を出た。


しばらく歩いて目的地の手前まで着く。あと少しだと思い橋を渡ろうとすると、背後から弾んだ声がした。
「安藤さん! その道は暑いよ!」
振り返ると、高齢の婦人が日陰付きの屋外テーブルに座って、小さな扇子をはたきながらこちらを見ていた。ご近所さんである近田のおばちゃんが座る木陰の席は、正午まで日陰が続く特等席だ。以前聞いた話では、十年以上前からこの店、ではなく「この席」の常連だという。

「暑いって?アプリに出してもらった日陰ルートだけど......」
「アプリは素人だからね、向こうの菓子屋の日除けまでは計算に入ってないのよ。12時までなら、あっちのルートが一番涼しい。」

安藤はアプリを見た。確かに今選んでいるルートの日陰率は「83%」とやや低めの数値が出ている。製菓店の日除けを含めて考えれば、近田が勝つのかもしれない。ただ、製菓店を通るルートは、アプリが示すルートより遠回りになる。
「ありがとう、近田さん。そうしたらここでちょっと休憩しようかな。隣いい?」
「もちろん。ゆっくりしていって。」



近田がおかわりの水出しコーヒーを注文する間、安藤はアプリを眺めながら辺りを見渡した。日陰ナビには近隣のクールスポットの情報が表示されている。「ビルの南側非常口上にクーリングミスト新設、日陰時間平均2時間延長」。新しく作られた日陰でも、データにはすぐ載る。アルゴリズムは街全体の日陰を網羅し、今日の天気データと照らし合わせて最適ルートを弾き出す。

「そのアプリに私たちの情報も入れてくれたらもっと良くなるのに」と近田は小さく呟く。話が気になって顔を向けると、こう続けた。
「近所のおばさん達で、毎日のように日陰情報を送り合ってるの。十数年分の"おばちゃんの知恵"が記録されてるんだから、アルゴリズムより確かだと思うね。」

近田は少し得意げだ。「流石だね。」と相槌を打ちながら、安藤は日陰ナビの口コミ機能をデータに反映してくれたらいいのに、と考えていた。入り組んだ路地にある製菓店の日除けや、ガラス壁の反射熱などは、まだまだ長年地元で生活する人間たちの方が詳しい。

話が弾みコーヒーも飲み終わったころ、近田が街の方を指差した。
「この先を行くと、古いバイク屋があるでしょ。午後になると店の屋根の影が隣の公園まで大きく伸びるの。人が少なくて、風も通るし、私のお気に入りよ。」
「アプリには載ってる?」
安藤がそう聞くと、近田は首を横に振った。
「載ってない。誰も登録してないんでしょうね。」そして自信満々にこう続ける。「でも、たぶん街で一番涼しいと思う。秘密の場所だから投稿はしないで頂戴ね。」



折角だからと、早速古いバイク屋にやってきた。アプリを確認すると、現在地点の日陰率は96%。しかし、90%以上であれば表示されるはずのクールスポットを示す赤いアイコンは無い。近田の言った通り、この場所はまだデータベースに登録されていないのだろう。アルゴリズムが知らない場所を、近田は長年知っていた。
つい、いつもの癖で「スポットを登録する」ボタンを押しそうになったが、直前で思い出す。この場所は、安藤と近田のおばちゃんたちのマル秘スポットだ。

道中の店で買ったお昼ご飯を公園で食べていると、いつの間にか14時近くになっていた。気づけばバイク屋の屋根の影は安藤の座るベンチを越して、遊具にまで伸びている。安藤は腰を沈め直し、空を見上げた。日陰から見るセビリアの午後の空は、昔と変わらずどこまでも青かった。

#01

そうしてしばらく空を眺めていると、スマートフォンに通知が届く。「本日の地域気温ピークを通過しました。今日の最高気温:44.1度」。日陰に居なかったら大変な気温だ。安藤が画面を見ながら苦笑いしていると、バイク屋の店主が表に出て声をかけてきた。
「今帰るのは危ないぞ! 日陰ももう少ししたら無くなり始める。ウチの店先で良ければ涼んで行きな。」
残光が石畳を黄金色に染める風景の中、安藤は思った。テクノロジーが街を天気データで包み、季節の常識を超えた真夏でも外を歩けるようにしてくれた。そして近田たちは、アルゴリズムよりずっと前から街の涼しい場所を知っていた。どちらが優れているとか、どちらが古いとか、そういう話ではないと思った。
熊谷の夏は、どうやら寛大なものらしい。
 
 

 

気候変動の未来を創造するために

影を頼りに街を歩く。そんな光景は、もうすぐそこまで来ているのかもしれません。
現実の世界でも、すでに都市の形やビジネスのあり方は変わり始めています。

今回のテーマである「日陰がインフラになった時代」をはじめ、【気候変動時代における未来シナリオブック】では、12個の厳選された気候変動適応の兆し(シグナル)と、そこから導かれる具体的な市場の可能性(未来シナリオ)をペアで詳しく解説。気候変動をどのような視点でとらえ、どのような発想をもとに商品戦略を構築していくか、具体的な取り組みイメージを提供しています。

小説の背景となったシグナルの詳細やその他の兆しに興味を持っていただけた方は、ぜひ読んでみてください。

 


❙ Written by: Satoshi Kageyama, Mina soma
 

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