Insight Blog

2025.12.24

Series|CX経営の「5つの力」を解説するシリーズ第5回―脱学習(アンラーニング)の力 - 変化に適応し続ける組織能力の獲得



cx経営の5つの力を解説第5回
 
CX経営を「企業変革のOS」として機能させる「5つの力」。
第1回から第4回まで、「組織行動の力」「デザインの力」「オペレーションの力」「デジタルの力」という4つの力を通じて、顧客価値を生み出し、届けるための仕組みを構築してきました。
しかし、どれほど強固なシステムやオペレーションを構築しても、それだけで企業の永続性は保証されません。なぜなら、「顧客」と「市場」は常に変化し続けるからです。
シリーズ最終回となる第5回は、この変化に適応するために不可欠な最後のピース、「脱学習(アンラーニング)の力」について解説します。これは、過去の成功体験や固定観念を手放し、顧客の変化に合わせて自らの事業モデルさえも変革し続ける能力のことです。


 

脱学習の目的は「顧客の変化に合わせた事業変革」

「脱学習」と聞くと、単に「古い知識を忘れること」や「スキルのアップデート」と捉えられがちです。しかし、CX経営における脱学習の定義はもっと深刻で、経営の本質に関わるものです。
それは、「顧客の変化に合わせて、自社の事業のあり方(ビジネスモデル)を変革すること」です。
顧客の価値観が変わり、求める体験が変われば、当然、それを提供する企業の姿も変わらなければなりません。かつて成功した製品、効率的な販売チャネル、勝利の方程式とされた収益モデル。これらが、顧客の変化によって「価値」から「負債」へと変わる瞬間が必ず訪れます。
この時、過去の成功体験にしがみつくのか、それとも痛み(Pain)を伴う自己否定を受け入れ、新たな価値創造へと舵を切れるのか。この分岐点を乗り越える力が「脱学習の力」です。そして、CXカルチャーの本質とは、顧客の変化によって自社のCXビジョンやガバナンス、あるいは事業モデルが変わっても、その変化に適応し続けられるマインドセットを指します。
 
 

なぜ優秀な企業ほど、変われないのか?:「イノベーションのジレンマ」とRPPの罠

古い成功体験や部門最適を手放すことは、組織にとって最も困難な挑戦です。頭では「変わらなければならない」と分かっていても、体(組織)が動かない。
この現象を、経営学者のクレイトン・クリステンセンは「イノベーションのジレンマ」と呼びました。
優良企業であればあるほど、既存の顧客と利益を守るために最適化されすぎてしまい、破壊的な変化に対応できずに衰退してしまう。実は、これはDXやCX変革に失敗する日本企業の姿そのものです。
クリステンセンのRPPフレームワーク(リソース・プロセス・プライオリティ)を使うと、なぜ組織が脱学習できないのか、その構造的要因が鮮明に見えてきます。
 
 

企業の能力を構成する3つの階層

企業の能力は、「リソース」「プロセス」「プライオリティ」の3段階で形成されます。重要なのは、これらは単なる並列要素ではなく、時間が経つにつれて組織の深層へと根付いていく「深さの異なる階層」だということです。

リソース(経営資源):最も変わりやすい
人材、技術、資金、ブランド、データなど、企業が「持っているもの」です。これらは市場から調達可能で、比較的短期間で変更できます。多くの企業がDXで真っ先に取り組むのが、このリソースレベル(AIツールの導入、デジタル人材の採用)です。

プロセス(業務プロセス):変わりにくい
リソースを価値に変換する「やり方」です。業務フロー、意思決定の仕組み、評価制度、部門間の連携方法などです。プロセスは成功体験の繰り返しの中で効率化され、組織の「型(ルーチン)」として定着します。一度確立されると、変更には多大な労力と痛みを伴います。

プライオリティ(価値判断基準):最も変わりにくい
何を重要と考え、どう判断するかという「基準」です。「売上規模を追うべきか、利益率か」「既存顧客か、新規市場か」。これらは長年の成功体験を通じて組織のDNAに刻み込まれ、もはや意識されることすらない暗黙の前提となります。「うちはこういう会社だ」という組織のアイデンティティそのものです。

 

「リソース」への投資だけでは変われない

多くの日本企業がDX・CX変革に失敗する理由はここにあります。
数億円を投じて最新のデジタルツール(リソース)を導入しても、意思決定の基準(プライオリティ)が短期的な売上至上主義のままであったり、部門間の壁(プロセス)が温存されたままだったりするからです。
皮肉なことに、豊富なリソースがある大企業ほど、「システムを入れれば変わる」「予算を増やせば解決する」という幻想から抜け出せません。無意識化した組織の価値観(プライオリティ)こそが、未来への脱学習を阻んでいるのです。

重要なのは、脱学習は頭で理解するだけでは実現しないということです。CXの実践を通じたダブルループ学習、つまり既存の前提や価値観そのものを問い直す深い学習プロセスが不可欠です。
 
 
学習ループ
 
 

スタートアップに学ぶ脱学習の実践法「エフェクチュエーション」

では、この強固なRPPの壁をどう破ればいいのでしょうか。そのヒントは、リソースに乏しいスタートアップの行動様式にあります。
彼らには、お金も人も時間もありません。守るべきプロセスも、固まったプライオリティもありません。だからこそ、彼らは顧客と直接対話し、素早く仮説を検証し、失敗から学習し、手持ちのカードで最大の価値を生み出そうとします。
この起業家たちに共通する意思決定の論理を、サラス・サラスバシー教授は「エフェクチュエーション(実効理論)」と名付けました。
これは単なる起業のテクニックではありません。既存企業が実践を通じたダブルループ学習により固定観念(古いプライオリティ)を脱学習し、不確実な環境下で新しい価値を生み出すための「行動変容のフレームワーク」です。

 

エフェクチュエーション5原則をCX変革の現場へ

エフェクチュエーションの5つの原則を、CX変革の文脈に翻訳して適用することで、組織の脱学習を具体的に進めることができます。
 
1. 手中の鳥の原則(Bird in Hand):すぐにできることから始める
「予算がついたらやる」「システムが完成したら始める」という言い訳をやめます。今あるデータ、今いるメンバー、今使えるツール(手中の鳥)で、今日からできる顧客へのアクションは何か? 完璧な計画を立てるよりも、不完全でも素早く動くことを重視します。

2. 許容可能な損失の原則(Affordable Loss):顧客へのマイナス影響を基準に判断
新しい施策を行う際、「どれだけ儲かるか(予測収益)」を計算して会議をするのではなく、「顧客に致命的な迷惑をかけないか(許容可能な損失)」を基準に判断します。失敗のリスクが許容範囲内であれば、迷わず実験します。これにより、意思決定のスピードが劇的に上がります。

3. レモネードの原則(Lemonade):意外な顧客の声にこそ注目する
「酸っぱいレモン(悪い事態)を与えられたら、甘いレモネードを作れ」という原則です。想定外のクレーム、予期せぬ製品の使い方、変な問い合わせ。これらを「ノイズ」として排除するのではなく、「ビジネスモデル変革のヒント」として捉えます。既存の枠組みから外れた声の中にこそ、次のイノベーションの種が隠れています。

4. クレージーキルトの原則(Crazy Quilt):CX改善に顧客を巻き込む
パッチワークキルトのように、協力してくれるパートナーを次々と巻き込みます。特に重要なパートナーは「顧客」です。顧客を分析対象として見るのではなく、一緒にサービスを改善する「共創パートナー」として関係を築きます。顧客を巻き込むことで、社内の論理(古いプライオリティ)を突破する強力な味方を得ることができます。

5. パイロットの原則(Pilot in the Plane):実験し、学習サイクルを回す
「未来は予測できないが、自らの行動によってコントロールできる」という考え方です。市場環境や競合の動きはコントロールできませんが、実験し、学習サイクルを回すことはコントロール可能です。予測に時間を使うのではなく、日々の行動を通じて未来を創り出します。
 

 

現場の実践が組織のアイデンティティを変える

重要なのは、これらのエフェクチュエーションの原則を、経営層だけでなく、現場の従業員が実践できるようにすることです。脱学習は、トップダウンの号令だけでは実現しません。現場起点の「行動」から始まります。

 

「行動」が「プロセス」を変え、やがて「プライオリティ」が変わる

 

行動の変化

ある社員が「レモネードの原則」に従い、クレームの中に新しいニーズを発見し、「手中の鳥」を使って小さな解決策を試します。

 

プロセスの変化

その成功事例を見たチームが、「クレージーキルトの原則」で他部門を巻き込み、顧客を交えた改善会議を定例化します。実験と学習のサイクルが、組織の新しい「プロセス」として定着し始めます。

 

プライオリティの変化

こうした実践の積み重ねにより、組織全体の価値判断基準が変わります。「上司の承認」よりも「顧客の反応」が優先され、「失敗しないこと」よりも「早く学ぶこと」が称賛されるようになります。

最終的に、組織の最深部にあるプライオリティ(アイデンティティ)そのものが、「管理重視」から「顧客価値創造重視」へと書き換わります。これは押し付けられた変化ではなく、現場の実践を通じて体得した変化だからこそ本物であり、逆戻りしない持続可能な組織変革となります。



イノベーションのジレンマを超えて:進化し続ける組織へ

エフェクチュエーションの実践は、DX・CX変革に取り組む企業を「イノベーションのジレンマ」から解放します。
既存事業を否定する必要はありません。既存事業で蓄積した豊富な「リソース」を、エフェクチュエーション的な「実験と学習のサイクル」に投入することで、スタートアップには真似できない規模とスピードでの変革が可能になります。これこそが、大企業における「両利きの経営(既存事業の深化と新規事業の探索)」の実践形です。

 

結論:「5つの力」でCX経営をアップデートする

 
全5回にわたり、CX経営の「5つの力」を解説してきました。

1.組織行動の力:顧客価値を起点とした企業変革の基盤を構築する
2.デザインの力:顧客インサイトに根ざした部門横断での価値創造プロセスを実装する
3.オペレーションの力:組織の縦割りを打破し、測定を起点とする改善サイクルを確立する
4.デジタルの力:デジタル導入によりオペレーションをスケール化・最適化する
5.脱学習の力:成功体験を捨て、環境変化に適応し続ける組織能力を獲得する

これらは一度完成させて終わりではありません。CX経営に「完了」はありません。顧客が変わり続ける限り、企業もまた「永遠のベータ版」として、「5つの力」をアップデートし続けなければなりません。

あなたの組織でも、今日から始められることがあるはずです。過去の成功パターンを少しだけ疑ってみる。意外な顧客の声に耳を傾けてみる。小さな実験を始めてみる。
まずはご自身の部署で、たった一つの顧客の声に真摯に向き合うことから、「脱学習」の第一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。その小さな一歩が、やがて組織全体を進化させる大きなうねりとなるはずです。
 

 
本記事は『いちばさしいCXの教科書』産業能率大学出版部を基に、CX経営は「企業変革のOS」ー 5つの力で企業は進化し続ける』でご紹介した「5つの力」を、CX経営OSの視点で解説するシリーズの第5回です。
書籍では、より詳細な実装方法と企業事例を紹介しています。
 
 

【関連記事】

  • Series|CX経営の「5つの力」を解説するシリーズ第4回―デジタルの力 - デジタルによるオペレーションのスケール化・最適化サムネイル画像
  • Series|CX経営の「5つの力」を解説するシリーズ第3回―オペレーションの力 - 測定を起点とするCX改善サイクルの確立サムネイル画像
  • Series|CX経営の「5つの力」を解説するシリーズ第2回―デザインの力 - 顧客インサイトに根ざした価値創造プロセスの実装サムネイル画像